「総合型入試でしっくりくる探求テーマが見つからない」
「そもそも探求テーマってどうやって見つけるの?…」
と不安に感じるのではないでしょうか。
実は、受かる探求テーマを見つけるためには、目標である総合型選抜の入試に合格するために探求テーマを設定するという方法を逆転する必要があります。
本記事では、総合型入試に向けた「探求テーマの見つけ方」を、探究することについて、本質から問い直し具体的に紹介しますので、ぜひ最後までチェックしてみてください!
目次
「目標の大学に合格する為に探究学習をする」それは本来逆の関係で不合格リスクあり
大学受験の進め方として、志望大学を決めて、志望大学に合格するためにはどんなことを勉強する必要があるのか入試方式等を調べ、計画を立てて勉強を始めるというのが王道と言えると思います。
目標を明確にし、その目標のためのステップを明確にし、効率よく志望校に合格するというのは一つの正しい対策の仕方です。
しかし、実は、これは多くの一般受験や公募制推薦には当てはまっても、「探究学習が求められる」総合型選抜の場合は必ずしも当てはまらないと言えます。むしろ、志望大学の決定と対策の順番は逆であり、この理由がわからないまま総合型選抜の対策をしてしまうと合格につながらないなんてことも起こり得るというのが、総合型選抜とは何か本質的に向き合うとわかってきます。
探究学習が求められる総合型選抜で受験をし今通っている大学に合格したという経験と総合型選抜を専門とする塾でのアルバイトの経験から総合型選抜、そして、探究学習で必勝するためのお話をしていきます!
探究学習は問いを見つけ続けることで深まり、そのために探究意欲が必要!だから一筋縄ではいかない
総合型選抜の受験対策において、合格できない失敗としてそれなりに起こっていることは、探究学習が行き詰まることです。探究学習は、一度テーマを決めればすんなり進むというわけではないです。探究学習を進めていくうちにテーマを決めた時点では、知らなかった世界が見え始め、探究したいテーマが代わり、その探究領域まで大きく変わることも起こります。そもそも、探究学習というのはいわば大学で4年間、さらに期待されるのは大学院まで含めた研究の始まりの部分でもあります。だから、簡単に答えが調べられてしまう問いであってはいけないのは明らかです。
探究学習を進めて何かしらの答えが分かったら、その新しく知ったことを踏まえてさらに自分で問いを深めて行くというのが、探究するということです。だから、何か根源的な探究意欲がないとなかなか探究学習はできないのです。
総合型選抜の専門塾でそれなりに見られた失敗では、ご両親の方が受験生の方にいかせたい大学があり、一般選抜は倍率も高く合格が難しそうであるので総合型選抜という抜け道でなんとか合格させたいということが受験の動機の土台にあったケースです。このような受験生の方のほとんどは探究学習が進まず、第一志望の大学には不合格になっていたことが多かったです。
もちろん、塾のスタッフや学校の先生方、サポートする側としては、進路の決定がうまくいかない受験生の方をうまくいくように精一杯サポートするべきといえますが、そもそも、一般受験と違って総合型選抜の対策、特に探究学習においては受験者それぞれに答えがある、むしろ受験者それぞれが自分で答えを作り上げていくものといえ、周りの指導者が行き詰まった探究学習を助けることはできても、やっぱり進めることはできません。誠実に進路指導を行うならば、その受験生の方に本当にあった進路先をむしろ見つけるということが誠実といえます。
受験生の方にあっていないにも関わらず無理やり都合の良い進路先に合格させるような指導は特に総合型選抜であればできません。だから、探究学習は受験者にとって、心から探究したいと思えるものでないといけません。
志望大学のみを先に決めて学部や選考を後で調整することは難しい
結論から言うと、志望大学のみを先に決めて学部や選考で後で調整するという方法はあまり有効ではないです。そもそも全ての学部で総合型選抜を実施しているわけではないケースがあります。また、資格や条件が厳しくごく一部の受験生しかその総合型選抜を受験する資格がないといったものもあります。
そしてもっと本質的な理由は、総合型選抜ではこの受験者がその大学において、その大学で共に研究する教授にとって相性の良い生徒であるかを選考では見られているからです。総合型選抜で志望校を決める際、研究のために大学に入学するのだから、その生徒が行っている探究学習を扱うことができる教授、興味を持ってくれる教授、専門に研究している教授がいるところを選ぶことは自然であって当然です。
教授の研究内容ということも含めて志望校を決めるとなると、志望大学の中に学部がたくさんあって選考もたくさんあるからといって、探究学習がどんな方向性に進もうが、その研究を受け止めてくれるわけではないです。例えば哲学科はいろんな大学にありますが、どの哲学者を扱っていてまたその哲学者のどんな思想を研究しているかは教授によってさまざまで哲学科だからといってどの哲学者でも十に研究ができる環境があるというわけではないとということです。
志望大学を先に決めると探究学習が行き詰まるリスクがある
これらのことから、志望大学の合格のために探究学習を対策として行なっていると、志望大学への合格という目標が邪魔になることがあるのがわかると思います。
探究学習を始める前に決めた志望大学というのは、探究学習を進めて知らなかった世界を知り、探究が深まっていった先のことが含まれていません。とすると、受験者の本当に探究したいテーマと志望大学で行うことができる研究がズレてくる可能性が十分にあります。総合型選抜おいて、志望大学と受験者の研究テーマや研究態度が合っていることはとても重要で、どんなに優れた研究をしていても、その大学で受験者の研究を扱っていなかったり、受験者の研究態度がその大学にとて好ましくないとなると、不合格になってしまいます。一方で、志望大学に合格するために探究テーマはXXでなければならない、探究はXXという方法に無理やり合わせようとしていると、受験者の本当の探究意欲を発揮することができず、やる気がなくなっていき探究学習が行き詰まってしまいます。
このような失敗を回避するためにも、志望大学を先に決めてしまわないで、決めるとしてもとっかかりの探究テーマを決める際の参考にする程度で、探究学習をある程度進め探究領域や態度が定まってきた頃に、その自身の探求テーマや探究態度に合う大学を探すことが、最も総合型選抜のによる合格の近道なのです。
高校1年生など時間のある人は、先に志望校決め、逆算して人物像や実績を作り上げることも可能
志望校ありきで自分の心に素直にならず、探究学習をするというのは不合格につながりやすいと私は思いますが、志望校に合わせて自分を成長させていく(これは一般受験のような学力だけでなく探究姿勢や将来像、人柄まで含みます)というのはやり方の一つだとも思います。特に時間のある高校一年生はこちらの方法を受験対策のきっかけとするのも良いと思います。まず、志望校という目標を軸に自分を形作っていき、そのまま志望校の求める人物像を目指すことに違和感がなければ問題はなく、他に興味ある学問領域が見つかったら、自分に正直に潔く方向転換するだけの総合型選抜に対する理解を持っておければ良いと思います。
一般選抜が学力を計ることに対し、総合型選抜は、研究者としてどうかという人物像を見ています。そこには過去の実績を見ることも可能性を見ることも含まれます。自分自身にとって一番正直な選択、一番後悔しない選択であれば総合型選抜への合格に近づく選択と言えるでしょう。
難関大学の総合型選抜で合格した人の実際の探究学習のスケジュール
このパートでは、実際に探究学習が求められる総合型選抜を合格した私が、結果としてどのようなスケジュールで探究学習を進めたかを紹介します。私自身、探究学習の進め方の正解を知っていたわけではないので、効率の良い洗練されたスケジュールとは言えません。一方で、大学入学後、様々なことを学び経験してもブレることのない探究意欲は、高校生の時に行った探究学習によって得ることができたと思っています。

結果を気にせずとにかく自由に探究をしていい!という環境が探究学習と真に向き合える状況を作った
● まず、私は探究テーマを決めることに2年間はかかったといえます。
この2年間において重要だったと言えるのは、
・大学受験のために行うなどの目的がなかったこと
・迫った期限がなく焦りがなかったこと
・高校での探究学習は、レポート提出以外は全くの自由に進めてよかったこと
● 高校1年次に行なっていた主なこと
・どんな学問があるのかということすらまともに知らない状態でとにかく広くわかりやすい本を読んでいた
・結果的に哲学、倫理学、社会学、政治学の中から哲学に一番興味があるということを導いていた
● 高校2年次に行なっていた主なこと
・どんな哲学者がいるかということすらまともに知らない状態でとにかく広くわかりやすい哲学の入門書を読んでいた
・結果的にニーチェという哲学者の思想に一番興味があることを導いた
● 高校3年次に行なっていた主なこと
・ニーチェという哲学者の思想の概要を知るためにニーチェを扱った新書や入門書を読んだ
・ニーチェという哲学者の思想の中でさらに深めたいトピックを見つけそのトピックが詳しく書かれている本を読んだ
・以上の作業をレポートにまとめた
つまり、目的や期限、ノルマという探究意欲以外で探究を進める理由がなかったので、まず探究意欲がないと探究が進まず、本当に探究意欲が湧いてくる探究テーマを探すことに向き合うことが結果的にできたということです。また、特に目的や期限、ノルマもないということから、学問的に価値のあることをしようなどの何かの軸に沿った価値を探究学習に見出そうという制限もなく、自分で理解できるペースとレベルで行えたことができたことも大きかったと思います。
私は中学生の頃になんとなく気になった些細なことの答えを見つけてみようかくらいの気持ちで探究学習に取り掛かり、自分にとって理解のできるレベルで、本当に自分が知りたい答えが書いてあるであろう本(文献)を、自分のペースで読むことができていました。ノルマがないので、無理に難しい本を読んで挫折したり心が追いつかなくなることがなく、やる気をなくしてしまうこともなく、むしろ自分の知りたいことに正直き学ぶとこんなにも楽しいんだと、初めて楽しいと思えた経験でした。
最終的に学問的なレベルに探究学習を落とし込めるまでになったのは高校3年生の春で、やはり、探究学習を始めてから2年間は経っていました。確かに、当時は高校の授業の一環という認識だったので、探究学習を進めるペースも熱量も緩やかなものだっために2年間もかかってしまったとも言えます。しかし、探究学習というのは、特に私の感覚では、ただ文献を読んでいれば進められるというわけではなく、探究を進めながら日々の見え方がかわり、そんな日々がまた探究学習の刺激になっていくような、生き物みたいなものです。そのように考えると、学問の領域における何か研究テーマになるような関心がない場合は、心からの探究テーマを見つけるまでには、生き物を育てていくように長い時間がかかかるということです。
探究テーマを見つけた頃には、この探究学習を大学進学という形で場所で、展開したいというのが探究学習を進める中で見えていたので、しっかり学問に落とし込めるように、学校の先生からのアドヴァイスだけでなく総合型選抜を専門にも行っているの塾に通い、専門的な知識を持つ方に指導してもらい、志望校も決め、客観的に評価してもらいブラッシュアップしていきました。探究テーマが決まってからは一転、目標や期限、ノルマがある状態となりましたが、長い探究テーマ探しの期間でじっくり鍛えられた探究意欲があり、その探究意欲に正直に、つまり、探究学習から思い描ける大学進学ということのための目的や期限、ノルマであったので、探究が行き詰まったりすることはほとんどありませんでした。
探究テーマは一度決めて終わりではない
探究テーマを探すことは、探究学習を進める上での一番初めのステップというイメージがあるかと思いますが、私は探究テーマを探すことが探究であると断言します。私の探求テーマは「正義とは何か」(高校1年生時点)から始まりました。これは実際高校の先生にこのテーマで探究学習をしますと提出したテーマで、壮大すぎて探究テーマにはふさわしくないと言えると思います。しかし、正直に心からの探究テーマといったら、まだ探究を始めていない段階では何も知識がなく、つまりこの言葉以上に”ピントを定める”能力はまだなかったので、この言葉でしかテーマを表せなかったのです。そしてこれは正しい感覚だったと思います。
探究が進められていくと、その壮大すぎる探究テーマは、どんどん新しい言葉で言い換えられていき学問として研究できるまでにピントを合わせることができました。一方で、いつもその新しい言葉で詳しく言い換えても言い表せない何かがあります。これこそ探究学習で探究テーマを問い続けるということで、さらに探究を深く見るための目を手に入れるために卒業論文を書くこととなった今でも続いています。つまり、探究テーマを探し続けることが探究そのものなのです。
● 私がテーマを決めるまでの流れ
①「正しさってなにかが気になる…」【正義とは何か】(高校1年生時点)
↓
②「哲学で議論されてる正しさって何だろう…」【哲学の正しさ】(高校2年生時点)
↓
③「ニーチェの話す正しい世界像が気になる…」【ニーチェの力への意思】(高校3年生時点)
だから、初めから学問的に評価されたり志望校に受かることができそうな探究テーマだったりを無理やり選ぼうとしても意味がありません。探究学習を進めて仕舞えば探究テーマは変わるからです。とにかく、簡単には揺らがない探究意欲を根気強く見出すことが必要なのです。探究学習の結果によっては、探究学習の展開の仕方という視点から考えて、自分が思い描いていた進路とは違うかもしれないということも受け入れるという姿勢が大事なのだと言えます。
結局、自分の探究テーマにあった志望大学を決めた人ほど良い大学に行っている
探究学習は探究学習をする人それぞれに答えがあるので、自分で結局解決しなければならず、その解決もとにかく調べていれば見つかるというものでもなく、究極的には自分の中から湧き上がってくる答えを見つけなくてはならないといのが苦しいポイントだと思います。でも人間のアイデンティティは元々あるものではなく、外の世界、つまり自分以上の世界と関わることで見出されていくという話と同じように、とにかく本を読み始めてみたり、総合型選抜において有利になる資格を取ろうとしてみたり行動を起こすことが大切です。その行動のきっかけのための志望校という目標は有効だと思います。しかし、自分の心なくして、外の世界に答えがあるというのは私は違うと思うので、ちゃんと自分の中で答えが出せるようになったら、偏差値とかは気にせず、自分に正直に探究を進めその探究を展開できる大学へ行くべきだと思います。結局、自分に素直に志望大学を決めた人ほど良い大学に行っていると言えると思います。